ペンション・モーツァルト

ペンションのご案内


「P.モーツァルト便り」 2003.1.11号(創刊号)
『 P.モーツァルト便り 』
あけましておめでとうございます

突然のメールですが、今年から時々メールのお便りをしたしいかたがたにお送りさせて頂けましたらと思いまして、お便りいたします。
催しごとのご紹介や、富士の自然の発見やら様々のことをお知らせさせて頂きます。
お時間のおとりいたします、がお目をとうして頂けましたら光栄です。

一月の催し
1/17.18.19 「山川紘矢さん亜希子さんのニューイヤーセミナー」
恒例の山川先生ご夫妻の新年会。深く暖かいお二人にふれて、晴れやかな心の世界が、開かれます。

精力的に世界の精神世界系の名著を翻訳され、紹介されている山川先生ご夫妻には季節折々お越しいただき、富士の雄大な自然の場で、セミナーとワークショップをしていただています。
そのお人柄にふれて、心がポッと温かくなるのは不思議。身の回りをゆったりとした暖かい時が流れていきます。
お二人が歩んでいらっしゃった道のりの大きさ故なんでしょうね。

今回は特に、『 地球の臍 』とも言われ、ヘミングウェイに「キリマンジャロの雪」を書かせた、( 「キリマンジャロは、高さ19,710フィート=5895mの雪におおわれた山で、アフリカ一の高峰だといわれる。その西の頂きはマサイ語で「ヌガイエ・ヌガイ(神の家)と呼ばれ、その西頂のすぐそばには、ひからびて凍りついてた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高い所まで、その豹が何を求めてきたか、今まで誰も説明したものはない。」と言うエピソードで有名ですよね。)その名も「Kilimanjaro(輝ける山).Ngaje Ngai(神の家)」と呼ばれる霊山に、亜希子さんが登頂されました。どんなことが、亜希子さんの心の中を訪れたのか、伺えるといいな。

キリマンジャロ山頂に輝くという、「我々は、かなた国境に輝くキリマンジャロ山頂に、灯火をかかげよう。絶望あるところに希望を、憎悪のあるところに尊厳を与えるために・・・」と書かたアフリカ植民地独立の象徴のレリーフをいつか是非見てみたい。

それにしても皆さん、5895mにのぼった亜希子さんはすごいですよね。驚異!5895mから仰ぐ、天空の青の深さはいかばかりだったんでしょう。

メルマガの紘矢さんの「バース滞在記」相変わらず大傑作でしたね。冒頭の言葉からはいつも励ましを受けますし。(まだメルマガ購読をしていらしゃらない方は是非購読してみてください。数あるメルマガ中の大傑作ですよ!)いつもそうですが、お二人が様々な国を訪れて、おくってくださるメルマガ旅行記は、リアルタイムで、まるで一緒に連れて行ってもらってるような楽しさがあって、心がハッピー、得した気分になりますね。これからもお二人にはどんどん旅に出かけていってほしいな、後からメルマガ読者、その他おおぜいがついて行きます。

今回は、「僕はよほど寒いのが苦手なのかもしれません」 紘矢さんの暖かハッピー「バース滞在記」のお話も楽しみです。スピリチュアルダンスにもいっそうの磨きをかけられたようですし。

私からは、冬の輝ける天上の宝石をプレゼントしたいと思います。冬の赤富士も、これほど清らかなものを私たちの瞳が見ることないんじゃないかと思えるほどす。                    

お問い合わせはお電話でもメールでも結構です。まだ定員に余裕があります。   

山川ご夫妻のホームページ    http://www2.gol.com/users/angel/

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「賢治の世界ーオツキユキエ 朗読」
清浄な冬の香りの世界、雪の香りさえ漂うオツキさんの賢治、場が時となり、時が場となる秘議の世界。時がこんなに豊かに満ちるとは。              

オツキさんに会われた方はどなたもが思われる、「命の様が少女のようだ」と。でも、そこから紡ぎ出される世界はすごい。去年もちょうど同じ時期に賢治の「ひかりの素足」を演じて頂きました。それは百数十回、賢治の作品の朗読会を主催してきた私にも異次元の体験でした。「ひかりの素足」は、賢治の童話の中でも非常に重たいお話で、しかも悲しい結末を持つ雪の中の物語です。
外には、まるで妖精の現れ出でそうな気配をたたえた月の光の中に、雪の冬木立の静けさがありました。
建物の中で聞かせて頂いていた私たちは、さあっと空気の気配が変わったとき、もう雪の中にいたのです。
雪の香りというか、清らかさというか、不思議なものに包まれて、私たちに体はなく、明るさだけが残りました。まるでマジック。

今回は大好きな「シグナルとシグナレス」です。モーツァルトのアダージョが聞こえてきそうなお話ですよね。

冬の満月の日には、運が良ければ緑の富士という神秘的な現象に出会えるかもわかりません。楽しみに!

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「冬の世の音楽」 リコーダーとチェンバロ 
冬になるとどういうわけか、しっとりした古楽器の音を聞きたくなりますね。たぶん、まわりをつつむ静けさとしっとり馴染むんでしょうね。それに暖炉の火なんかがあると最高です。と、言うわけで今年は久しぶりにホールの暖炉に火を入れましょう。本当は、薪割りが大変なんですが、(若いときはこれがまた楽しみだったのに、今は戦車のようなブルドーザーの雪かきが楽しみ。手術してまだお腹もくっついてないときから遊んでいました。(オモチャかな。)なんと今年は廃材をたくさんとっといたので余裕です。

部屋の中に裸火があると、そのまわりの時間まで暖められてくつろいでいいるみたいなんですね。炎の色やうごきがとてもきれいで、炎の中に緑や水色があったりして、つい見とれて時を忘れす。「浄化の炎」とか、シンボルとしてもよく言われますよね。こんな何の気がかりもなくボーーとして時を楽しめるのって、人生の至福にいたるですね、きっと。

老子の言葉の中に有名な『 無為 』という言葉がありますが、無為とは何もしないことではなく、加島祥三先生の訳によれば、

『われら肉体と心を持つものは、ひとたびタオの大道につながれば、体と心は離れないようにる。

いのちの流れに柔らかく身を浸したら、心は生まれたての赤ん坊のようになるのさ。

あの母の門のむこう、名のつかない領域をビジョンとして心に持てば、赤ん坊と同様に、あくせく争わなくてよくなる。

天と地と分かれるあの神秘の門

あそこを開いて、やさしく母と遊ぶことができるようになるんだ。

そこではすべてのことに心が開かれる。

すべてが見えてきて何もしなくても楽しくなるはずさ。

無為とは何もしないことじゃないよ。

頭であれこれ作為しないこと、タオに生かされているんだと知ること、それが無為と言うことだよ。

なぜって、この時にこそ、君のなかにライフエナジーがいちばんよく流れるんだ。

これがタオという道のパワーなんだ。』

ということなんですが、どうでしょう。

ただボーーとしてたのではマヌケですが、たとえば、地面に大の字になって星を見ていると、同じ見ていることでありながら立って見ているのとは感じる世界が違ってくるような気がします。受け取るステージの深さ広さが違うというか。なにかもっと心が自由に生き生きしてくるような感じなんです。目を閉じると、肌をつつむヒヤッとした夜の大気のなかに、天空の限りない大きささえ感じらるような気がしてきます。

ちっちゃな僕の心で感じる楽しさやうれしさも、実はおっきな天地からの正当な由来をうけているのでしょうか、そんな母胎につつまれて、まるで自分がその有機体の一つの細胞になれたよう気がしてくるのです。ありがたいですね。深謝!

皆さんすすんでボーーとしましょう、春空にポッカリ浮かぶ雲のような楽しみ。日頃せっせっと働いているんですから、これぐらい胸を張っておおらかに「 私たちの権利だ 」って宣言しましょう。

二月以降のスケジュールは、また近々お知らせいたします。

久々に、体も元気になってきたので今年は頑張って、皆さんの笑顔とたくさんお目にかかれますよう、おしごとに? 励みたいと思っておりますよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

PS.

お正月にすごく珍しいことがありました。 僕たちも二十年で始めてみたのですが、富士の珍しい生き物「姫ネズミ」がどういうわけか室内にいたのです。
ネズミというう名前は付いているのですが、細長いしっぽさえ変えれば、まったくリスの赤ちゃんで、体長4センチ薄茶と白のしゃれたツートンからでとってもかわいいんです。木の実が常食で、ドングリをくわえて木の間を飛んでる写真を見たことがありますが、ドングリの倍ぐらいしかありません。こんかわいい生き物と一緒にこの富士の場に生きてると思うとついにっこりしてしまいます。 魚もそうですが、(猫に怒られるかな)こんなちっちゃな生き物のいのちと共にあることが病の最上の良薬かなと思えてきます。

でも「姫ネズミ」が数時間後なくなってしまったのは悲しく哀れでした。心にしみました。

お風邪などひかれず、お元気にお過ごしください。

これからも時々「P.モーツァルトからの便り」をお送りさせて頂ければと思います。 もし御必要がなければ下記メールアドレスにその旨お手数ですが御連絡ください。

ペンション モーツァルト        
西 岡 範 男


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