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「冬の世の音楽」 リコーダーとチェンバロ
冬になるとどういうわけか、しっとりした古楽器の音を聞きたくなりますね。
たぶん、まわりをつつむ静けさとしっとり馴染むんでしょうね。
それに暖炉の火なんかがあると最高です。
と、言うわけで今年は久しぶりにホールの暖炉に火を入れましょう。
本当は、薪割りが大変なんですが、(若いときはこれがまた楽しみだったのに、今は戦車のようなブルドーザーの雪かきが楽しみ。手術してまだお腹もくっついてないときから遊んでいました。(オモチャかな。)
なんと今年は廃材をたくさんとっといたので余裕です。
部屋の中に裸火があると、そのまわりの時間まで暖められてくつろいでいいるみたいなんですね。 炎の色やうごきがとてもきれいで、炎の中に緑や水色があったりして、つい見とれて時を忘れす。
「浄化の炎」とか、シンボルとしてもよく言われますよね。こんな何の気がかりもなくボーーとして時を楽しめるのって、人生の至福にいたるですね、きっと。
老子の言葉の中に有名な『 無為 』という言葉がありますが、無為とは何もしないことではなく、加島祥三先生の訳によれば、
『われら肉体と心を持つものは、ひとたびタオの大道につながれば、体と心は離れないようにる。
いのちの流れに柔らかく身を浸したら、心は生まれたての赤ん坊のようになるのさ。
あの母の門のむこう、名のつかない領域をビジョンとして心に持てば、赤ん坊と同様に、あくせく争わなくてよくなる。
天と地と分かれるあの神秘の門
あそこを開いて、やさしく母と遊ぶことができるようになるんだ。
そこではすべてのことに心が開かれる。
すべてが見えてきて何もしなくても楽しくなるはずさ。
無為とは何もしないことじゃないよ
頭であれこれ作為しないこと、タオに生かされているんだと知ること、それが無為と言うことだよ。
なぜって、この時にこそ、君のなかにライフエナジーがいちばんよく流れるんだ。
これがタオという道のパワーなんだ。』
ということなんですが、どうでしょう。
ただボーーとしてたのではマヌケですが、たとえば、地面に大の字になって星を見ていると、同じ見ていることでありながら立って見ているのとは感じる世界が違ってくるような気がします。
受け取るステージの深さ広さが違うというか。
なにかもっと心が自由に生き生きしてくるような感じなんです。
目を閉じると、肌をつつむヒヤッとした夜の大気のなかに、天空の限りない大きささえ感じらるような気がしてきます。
ちっちゃな僕の心で感じる楽しさやうれしさも、実はおっきな天地からの正当な由来をうけているのでしょうか、そんな母胎につつまれて、まるで自分がその有機体の一つの細胞になれたよう気がしてくるのです。ありがたいですね。 深謝!
皆さんすすんでボーーとしましょう、春空にポッカリ浮かぶ雲のような楽しみ。
日頃せっせっと働いているんですから、これぐらい胸を張っておおらかに「私たちの権利だ」って宣言しましょう。
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