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ペンション・モーツァルトの世界

P.モーツァルトに捧げるソネット

『同時代』法政大学出版局 裏表紙より

早暁 湖畔に佇むと

濃い靄に包まれたみえない湖は 神々を集め

なにやら厳粛な儀式を行っている とそう思える

それから程なくして湖は靄を脱ぎ 恥らうように

懐かしいひとに似た眩しい姿態をぼくにみせる


丸地 守 (創刊号より)
 
  富士の裾野をわたる風

梢のささやき

小鳥たちの声、岸辺を洗う水

自然は歌に満ちています―


(第42号より)
朝の小鳥の声は、なぜ

あんなに朗らかなのだろうか

ただくり返す旋律に、なぜ

無限の響きがこもるのだろうか


(第43号(1984年3月20日発行)より)
 
  歴史の青白い肌が秋の大気に触れるとき

記憶の曲がり角にたたずむ少年は

湖面にきらめくミューズの竪琴を聴く

より広い空間に浸透してゆく光を見る


和田 旦 (第44号より)
たとえば春浅い湖の反映のように

たとえば片恋の山鳩の祈りのように

たとえば落葉松の林を彩る時雨のように

ひそかな旋律は鳴りつづけるだろう


古志秋彦 (第45号より)
 
  遠い渕を舞い上った汨羅詩人. 西蔵の

青姫を小脇に白樺の梢で奏でるカンテレ.

さっき聴いたMも彼らも、誰あろうおれたち.

今宵も流れるよ父星母星きょうだい星.


人見鐵三郎 (第46号より)
静かさを湛えた空に七音の諧調が懸り

はるかな日の回想が憧れの仄明りと混り合う

霙降りしきる朝ザルツブルクを旅立った

道はまだ見ぬどの夏へと私を導くのか


清水 茂 (第47号より)
 
  山麓の宿り朝靄が薄みどり窓の下の繁みに

白い小さな花の塊り暗赤色のもみんな窓を見上げて

朝の挨拶を送ってくれる見知らぬ旅人に

あれなんの花?ウツギ赤いのも?そうこの木は?イヌシデ


山崎栄治 (第48号より)
生憎きょうは富士が見えぬが

下界を這う微小の眼には映らぬだけだ

富士山顛は雲の上 北斎の青の天のひろがり

刷毛でボカした水滴の雨に樹海が煙る


池 崇一 (第50号(第50号発行記念)より)
 
  みずうみにひかるかなしみ

おんがくははしるさざなみ

われもこう こうべをあげて

あおぎみる ふじのゆうばえ


矢内原 伊作 (第51号より)
まぶしい西日に矍鑠(かくしゃく)と

富士が水を浴びている

林をのぼれば冬まぢか

かさこそと朽葉が鳴る


宇佐見英治 (第52号より)
 
  熟れている午前

野の花はひらき

鳥をまねて はばたく

無邪気な西風の

疾走する えくぼ


伊藤海彦 (第53号より)
語ってくれたのは 誰だっただろう?

落葉松が五線譜の枝を交差し

湖を渡ってくる風が光の音符を置いていく

あの林の中のできごとを 語ってくれたのは・・・・・・


大重徳洋 (第54号より)
 
  かすかな霧が小枝にかけた夢の網目に

今朝ゆれているのは昨日の影なのか

逝いた人ののこしていった心のかたちに

高い梢のあたりから花弁がこぼれてくる


清水 茂 (第55号より)
空はいま蜜柑色となり

紫雲の間から金光を放射し

その余光はかすかに

山巓の雪を染めている


加島祥造 (第56号より)
 
  さまざまな雲がさまざまな歌をうたっては過ぎた

あとにつけて湖もうたった 輪唱のように

さまざまな人がさまざまな心を語っては去った

黙ってはいたが湖は決まってかすかにその色を変えた


池 崇一 (第57号より)
おおくの人たちにとっての聖地がある

ただひとりの人にとっての聖地がある

フジアザミの咲くここは未成の聖地か

しずかに何かを待っているたたずまい


加藤 忠哉 (第58号より)
 
  石垣のほとりの日だまり 乾草のはだざわり

宝石の朝 果汁の空気 ゆうがた

無窮が奏でる遠いさざなみの遁走曲(フーガ)

そして 懸崖のようにかかる世界のあす


山崎栄治 (第59号より)
かつて このペンションで夜を語った

齋藤磯雄は逝き 矢内原伊作も遠く

そして伊藤海彦もまた いまは亡いが

風化しない歳月のなかに 湖の風景はある


古志 秋彦 (小特集「宇宙」より)
 
  十月の富士は 秋が上からおりてくる

綴錦や唐織を着て 謡のように朗々と

樹海のコケのあいだからは音符のかたちのキノコたちが

立ちあがってはうたいだす 能の子役の舞い手のように


池 崇一 (特集「宇佐見英治」より)






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