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山水鳥話 「湖畔の一夜」
--- 霧の峠に富士アザミの群落 --- 濡れた花はうつむきやさしい ---
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霧が出てきた。車が三国峠にさしかかると、急に山奥に来たような気がする。カラスの群れが15、6羽、道の両側にたむろしていた。思い思い翼をひろげて舞い上がったかと思うと、翼を立ててまっしぐらに餌をめがけ下りるのもいる。霧の中の黒い無音。車はさらにのぼる。
案内役の矢内原伊作君が「ここで停めて下さい」といった。いわれなければここが峠の頂上であることが車内の誰にもわからなかったろう。濃霧ではないが前面の鉛色の空の下はくだりになっているようだ。三国峠は晴れた日には駿河、相模、甲斐、三つの谷が見下ろせるという。それが湖畔から車で20分で来れるとは思いも設(か)けなかった。さっき湖水のそばのレストランで矢内原君から、ペンション・モーツァルトに今から行くには早すぎるから三国峠に登ってみないかといわれたとき、私は遠くの三ッ峠と勘違いをしたらしい。
今夜は前記のペンションで彼の著作集「矢内原伊作の本」全5巻の完結を祝うコンサートがある。そのため昼前画家の堀内君と私は影山君の車に同乗し、中央高速を一っ走り、山中湖に来たというわけだ。まず対岸の矢内原君の山荘に立ち寄って彼を乗せ、湖畔を半周、そのレストランで遅い昼食をとった。
雲にとざされた峠に彼が案内したのにはわけがある。ここには富士アザミの群落があるのだ。「そら、これだ」彼は道ばたの大きなアザミを指しながらいった。「そこにも、向こうにもあるだろう」私は初めて富士アザミを見た。富士アザミは山野に見かけるアザミよりも茎が逞(たくま)しい。普通のアザミが空に向かって花を掲げるのに対し、このアザミは頭花を地に向け、何百という細い薄紅色の花びらを下に向けている。頭花を包む総ほうは堅く反りかえり、盾のように重なって花を守る。アザミはことに精気を感じさせるが、霧に濡れたこの花は、棘(とげ)と根から生えた大きな葉がわけてもたけだけしい。その強さとうつむいた花の優しい風情。それは霧の中の赤紫のシャンデリアだ。もし私が建築家であるなら、このあてやかな王女のために、霧の中にシャー・マホメットのような幻の宮殿を建てたであろう。
今夜祝宴が催されるペンション・モーツァルトは山中湖畔の南岸、森の奥にある。榛(はん)の木とソロの木の樹林に囲まれたこの建物は黒い鉄の装飾枠をめぐらした真黒な直方体で魔法のように立っている。入り口は2階にあり。その2階にはリスニング・ルームと明るい食堂があり、ピアノと狭い演奏場がある。
その晩は矢内原君の出版祝いのために20数人が次々集まった。東京はもとより、横浜、三島、御殿場、遠くは奈良から来た美しい人もいた。みんなこの著作家、私の故友である彼を愛する人たちだ。夕餐(さん)のあと乾杯、雑談。記念コンサートが始まる。最初はピアニストの藤井ゆりさん。ついでソプラノの福田圭位子さん。最後は飯田芳江さんのヴァイトリン。「月の光」、ドヴォルジャークの「ジプシーの歌」、モーツァルト、R・シュトラウス、サンサーンス、クライスラー、シューマン他。まろやかに、華麗に、清らかに演奏がつづく。終わって改め挙杯、酣宴(かんえん)
、ダンス。楽しかったのは演奏家たちが一休みして談笑、思い思い好きな曲を弾き、みんなで音楽を楽しんだことだ。優しい女性たちと友人に言祝(ことほ)がれて矢内原君は異界にいるよう。いつになく神妙になっている。黒い館の千一夜。
寝室で。君の隣に寝ているのはシェヘラザードではなく僕だよ。彼はぐっすり眠っている。
翌日は昼すぎから大雨になった。濛々(もうもう)たる風雨の中で湖水が漂っているようだ。私はI嬢と東京へ帰る川崎さんの車に乗せてもらった。車は山の高速路を疾走した。その灰色の中で昨日見た花の薄紅が一瞬眼に浮かんだ。
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うさみ・えいじ 詩人、仏文学者。1918年大阪生まれ。東大文学部卒。著書に『芸術家の眼』『石を聴く』など。60年渡仏、ジャコメッティと親交を結ぶ。
(1987年10月9日 朝日新聞文化欄より)
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ペンション・モーツァルト 0555-62-3364 〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野509-38 |
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