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嵯峨だより
宇佐見英治さんへの手紙 1988年3月9日
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おたよりを頂戴いたしまして、ありがとうございました。私の方こそ先日の御礼を申し上げなくてはと存じつつ失礼申し上げておりました。雪と霧につつまれた山中湖とペンション・モーツァルトの一夜は忘れがたい印象でした。宿に入る前にミッシェルでしたか小さな喫茶店にご案内下さって、こ一時間ほどお話ししました時のことが今だによみがえります。目の前の湖は霧にとざされて全くみえないのを、残念がっておいででしたが、私はかえってそれが内なるものと外なるものの接触を感じさせるようにさえ思われました。内容はたしか野見山さんの絵の話などだったと思いますが、私はあのときなぜか芸術が遠い未来を先どりすると同じに見えない世界への触手をどこまでのばしてゆくのかと人間という存在そのものに揺らぐような思いをもったのです。現実の世界までこまごました日常の処理をつづけながらも全く違った領域に目をとどかせ、思いもかけない飛翔を行っているのだと思い、そのあとの食後のとき宇佐見さんが、ヘッセのガラス玉遊戯でしたか、そのお話しをなさった時も妙に心が揺らぎました。たしかに私共は今ここに現身として在りながら、何か未来の国に生きているというというか現実をとおくに置き去って旅しているようなところがあり、たまたま家を出て、湖や音楽や親しい友人にかこまれて一夜をおくると魂はよろこび、少し地上をはなれるのかも知れません。帰ってから野見山さんのデッサンをみたりして、具象とも抽象ともいいがたいあの世界は一体何なのだろうかと考えました。絵画的な要素をとり去ってあとにのこったもの、とあの時おっしゃったように思いますが、形、純粋な感覚のとらえた形、或は純粋な内容だけを線と色であらわしたもの、1人の人間の中で
直感と記憶のイメージが一体になったもの、とでもいったらいいのか、私はとても知りたく思っています。なぜああいう芸術が生まれてくるのか、それは今の、この生きている一瞬一瞬と深く結びついて思われるからです。全く関係のないと思われるほどの私の仕事ともふかく結びついているからです。私の場合はまづ形式、制約の世界の中の仕事ですが、もし野見山さんのように考えることがほんの少しでもできたら世界が開かれるように思うのです。染織的要素をとり去ってあとにのこったものをあくまで染織によって表現できたらと思うのです。出来るだけこだわらずに織ということさえ忘れて仕事をしたいと思うのです。物とのかかわりを積んで積んで、その果てに無意識に近い状態になれたらと思います。
ヘッセがガラス玉遊戯の中で、25世紀の人間が23世紀の人間を批判して、天才よりも名人の方がとおとばれるというようなことを言っていると話して下さったと思うのですが、たしかにもう私達は中世にもどることはできませんし、天才がそういう形であらわれることはなく、名人の中にこなごなに入ってしまうような印象をあのときうけたのですが、ヘッセが未来を、芸術の運命を、啓示しているのだと思います。山中湖で宇佐見さんから伺ったことの余韻が私には大切なこれからの課題のように思われます。
しかも現実は抗しがたい力をもっていて、帰ってきましたら玄関に大きなダンボールが四ケ積み重ねてあり、開けてみましたら桜の皮、命のほとばしるような色をして、あらわれました。桜の大樹、老木とのこと、最後の箱をあけると送主の手紙に添えて、紺紙金泥の般若心経が入っていました。為桜老樹供養としるされ、用のすんだ皮と共に焼却供下さいとありました。そのすさまじいまでの赤茶色の皮に胸をつかれ、体中が熱くなる思いでした。突如、素材が降って湧いたという感じでした。
やはり桜には何か宿っていると思わずにはいられませんでした。きっと送り主の方もこの大樹を伐るときの思いを写経されたのだと思います。その桜の灰を送っていただくことをお願いし、本性に還ることを願って染めようと思います。
ペンション・モーツァルトという森の中の黒い鳥籠の中で音楽という天の鳥たちにかこまれてすごすことができ、本当にありがとうございました。満開の梅に雪がつもって、季節は逆もどりしたようですが、畑にでてみますとさんしょうがはじけるような黄の花をみせていました。
くれぐれも御大切になさって下さいませ。
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ペンション・モーツァルト 0555-62-3364 〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野509-38 |
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