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ペンション・モーツァルトの世界

雲を追い ■新連載/第1回

大庭みな子

誘われて初雪が降ったばかりの富士に深夜登ったことがある。案内してくれたのは、時に思い立って出かける山中湖で「モーツァルト」というペンションを営んでいるN氏である。

須走登山道を車ではい上がり、道が尽きたところから昔修験者が歩いたという林の中の道を1キロほども歩くと、急に林が消え、視界が開け、ざらざらした溶岩の粒の盛り上った小山が小富士である。いつの頃か富士山の脇腹から溶岩が噴き出した名残りらしく、頂には古御岳神社の小さなほこらがある。海抜1979メートルとあり、10月初めだったが、気温は真冬に近く、富士山頂の雲は月の先に銀色に輝いていた。

月は中天に近く、下界の音の全く届かない深夜の小富士から、銀灰色に光る相模湾をふちどる小田原・平塚の街の灯や、ふうわりと真綿をひろげたような白い靄に覆われた河口湖、山中湖を見下ろし、目を上げて空にかかる月と共に神秘なひと時を過ごした。ふっと、月を遮る雲に自分もひいやりと包まれるような気がする。

明恵上人の歌、
 雲を出でて我にともなふ冬の月
 風や身にしむ雪や冷たき

という歌が思い出された。その歌の下の句を川端康成氏が色紙に書いて下さったことがある。それをいただいたとき、わたしは明恵上人の歌を知らず、風や身にしむ雪や冷たき、と感じている川端氏の心が伝わって来て、その風は私の身にもしみ、冷たい雪がわたしの肩に降りかかるような気がした。

それは川端氏がノーベル賞をお貰いになる少し前のことで、わたしはその後明恵上人の歌や詞書(ことばがき) も、それについて川端氏の述べられている言葉も読む機会があったが、そういうことを知らないとき、ただ川端氏の書いた「風や身にしむ雪や冷たき」という言葉をすんなりわが身のこととして受け取ったのはかなりまっとうな感じ方であったように思った。

そして、そのとき、雪の富士を見上げて、どこからともなく湧いては消える雲の行方を追いながら、明恵上人と川端氏のことを妙にしみじみと思い出していた。

雲の姿がなければ、この月の歌も詠まれなかったに違いない、雲を出でて我にともなふ冬のつき、と何度も口の中で呟(つぶや)き、古の詩人のように、いつの間にかわたしもまた雪が月か自分がわからなくなるほど生きてしまったらしいと愉(たの)しいような哀しいような気分になった。

そんなわけで、このエッセイの連載を始めるに当たって、「題をどうしましょう」と訊(き)かれて、「雲を追い」とでもしましょうかと呟いたのである。いろいろな意味で雲が気になり始めてから久しいことだから。

気象衛星が赤道の上に打ち上げられて、四六時中地球を覆う大気のさまを送ってくるようになり、わたしたちも日本の上を流れる雲の渦の姿をTV画面で眺められるようになった。この動きのさまを見ていると、あたかも雲の塊りが大陸から日本列島へと流れて来るように見えるが、東から西へ動くのは雲を生むエネルギーのようなものであって、大陸の水がそのまま日本に届くわけでもないのだろう。雲そのものはその地の水分が上昇して生まれその地に雨になって降ったり、あるいはそこで消えることもあるだろう。それにしても渦を作って流れる雲の流れを見て、一週間先、半年先の天気の変化を予測するには異様な大胆さ勇気を必要とするものだろう。どのように異様と言われようと大胆と言われようとこの種の大胆さは人間の本能の一つでもあるらしく天気予報は決してなくならない。雲の渦が西から東に進む傾向はあっても、人の心のように気紛れであることも、人はよく知っていて、予報が大幅にはずれても寛大である。

春にはちゃんと春らしい雲が浮かび、秋には刷毛ではいたような雲がかかり、大陸には大陸らしい雲、島には島にふさわしい雲と、形はだいたいきまってはいるが、その形がピアノになったり、羊になったり、ヨットになったりして、かつ消え、かつ結んであらぬ方に姿を現す。

日本は島国ではあるし、現代、外国との往来は飛行機で雲の中を飛ぶことが多い。ときには青空が広がり、その中にぽっかり浮かぶいくつかの雲の塊りを目にすることがあるが、よく見るとその下に海に小さな島の姿がある。目には見えない空気の流れは大洋に散在する島に乱されてはるか上空に雲を生むのだろうか。

外から見ればさまざまに形を変え、さまざまな形に見える雲も、飛行機がその中に入ってしまえば形もないただの霧であり、水や氷の粒の漂う空間に過ぎない。それなのに、さっと射す陽の光の向こうに覗(のぞ)き見る同じ霧の塊りが何かの形に見える不思議さは、人間の姿そのものと重なる。

クレオパトラの鼻が曲っていたら、ヒトラーが英仏海峡を一気に渡っていたら、池禅尼に請われた清盛が仏心を起こさずに、頼朝の命を亡いものにしていたら、などと人の心の決断を何が決めたかということも雲をつかむような話ではある。

どこから雲が湧くのか、どこに消えたのか、しばらく雲を追うことにしよう。
考えてみると、わたしの作品には「かたちもなく」「霧の旅」「虹の橋づめ」つかみどころのないものを題として無意識のうちに選んでいるらしい。



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おおば・みなこ(作家) 1930年、東京生まれ。津田塾大学英文科卒。68年に、『三匹の蟹』で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。著書『浦島草』『寂兮寥兮』『わらべ唄夢譚』他多数。





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